気まぐれ日記 03年4月

03年3月はここ

4月1日(火)「ゲラが届いたのに手が出せない・・・の風さん」
 今朝も息苦しくて目が覚めた。花粉症のために鼻で息ができず、口だけではあはあ。酸素不足で脳死寸前。鼻から鼻水が垂れてきた。起き出して、薬を服用。目薬もさす。あらためて就寝。寝過ごした。
 通勤途中のミッシェルの中でケータイが振るえた。見るとワイフからのメールで、「ゲラが届いたよ」とのこと。いよいよ待ったなしである。
 ・・・と、とんでもない、超多忙な1日を過ごして、退社は夜の10時である。家ではゲラが待っているというのに(でも、地元の図書館へ返却する本をワイフに頼んでおいたのは正解だった。バーチャル秘書ではこんなことはできない)。しかし、会社の外へ出ると、雨である。くそ。昨夜の洗車は何だったんだ。
 本を返却してくれたワイフに感謝しつつ、出された夕食を食べ始める。ところが、改造計画中のサンルームの見積もりが出たという話を聞いているうちに、頭から湯気が出た。めちゃ高いのである。しかも、ワイフはそれで発注してしまったという。だめだ。ぼくが断る!とうとう、そんな言葉まで飛び出すほど興奮した。怒りで食卓の上の食べ物を次々に平らげる。
 その興奮した状態で、宅急便のゲラを開封。同封された手紙を読んでみると、予想通りの締め切りだった。きわめて厳しい日々が続きそうである。原稿枚数は多かったが、ページ当たりの文字数が多く設定されていて、意外とページ数が少ない。そのおかげで、上下巻のページ差が少なめである。手直しが少し楽になった。とはいえ、ぷんぷんしながら入浴。ああ、もう寝る時間だ。明日も朝が早いのである。
 風呂から出て、ワイフとまた話しているうちに血圧が上がってきた。何か飲もう、というヤケクソ発言にワイフが同調して、日本酒を飲むことに。東京で勉強会の後によく飲む冷酒である。辛口でうまい。がんがん飲んで、ベッドへ直行した。

4月2日(水)「今日もゲラに手が出せないの巻」
 6時起床。最近飲み始めた人参エキスのせいか、寝不足でも元気である。
 昨夜来の雨がまだ降り続いている。ほぼ満開の桜がしっとりと濡れて、重そうである。
 早朝から会議に出席。会社の診療所で花粉症の飲み薬をもらってから、ミッシェルで製作所へ出張。途中、コンビニでパンとコーヒーを買って昼食にする。あいかわらず雨が降っている。ミッシェルがどんどん汚れていく。
 製作所で7時まで仕事して(最近、迷惑メールがケータイへよく入る)、ようやく帰途についた。雨は小降りになっていた。
 帰宅したら、ワイフがめまいでダウンしたという。受験生のように寝不足生活を続けていたせいだ。無理をするなとあれほど言ったのに・・・と非難してもどうしようもない。ワイフにも人参エキスを飲ませてみよう。
 新鷹会の野村敏雄先生から新刊が届けられた。『新宿っ子 夜話』(青蛙房 2400円税別)である。これは「大衆文芸」に連載されていたエッセイを本にしたもので、ほのぼのした話、郷愁を誘うような話が多い。インターネット注文するために、注文リストに入れておいたものだが、注文しないでよかった。・・・いや、それは間違いだな。たくさん注文して地元の図書館へ寄贈し、野村先生の書架をしっかり作るべきだ。うん。そうしよう。
 書斎でメールチェックを始めたら、卓上スタンドの蛍光灯がぷつりと切れた。そうなのだ。私もワイフもいつこの蛍光灯のようにぷつりと切れてしまうか分からない。あまりにも無理した人生を歩み続けてきたからな。
 明日から母校訪問で出張なので、ゲラの手直しも合間にやらねばならない。忙しいぞ(まるで懲りていない証拠)。

4月3日(木)「ママさん層に敬服・・・の風さん」
 5時半に起床。朝食も摂らずに出張のため家を出る。パソコンとゲラの一部を持参しているのが、普通の会社員と違うところ。念のため傘を持ったが、雨は降りそうもない。始発の名鉄特急に乗車した。夕べも遅かったので、ちょっと眠い。名古屋まで仮眠した。
 コンビニで朝食のサンドイッチと昼食のおにぎりを購入。834円。また始まった。名古屋発7時32分のひかりに乗車。すぐに朝食を食べ、ゲラを広げる。頭から読みながら赤のボールペンで気になるところを直していった。結構ある。書き込んだ後、パソコンの中のファイルを直す作業も大変そうだ。東京まで作業を夢中で続ける。
 東北新幹線に乗り換える間に、缶コーヒーでひと息入れる。
 はやてに乗車している間も、一心不乱でゲラの直しを続けた。どうにか第1章を終えた。仙台へ着く前におにぎりとお茶で昼食にする。食べ終わって、ふと横を見たら、通路をはさんで隣の席に、出張に同行している同僚が座っていた。声をかけると、CDを聴いていた彼もびっくりした表情。仙台着は11時37分。別々に予約した同じホテルにチェックインし、タクシーで一緒に母校へ向かった。仙台の桜はまだ全然咲いていない。
 夕方まで6人の教授と会い、公式行事を終了。夜は、二人の教授と我々二人の計四人で、夜の仙台へ繰り出した。半分は仕事で半分は遊びである。以下、遊びの要素だけ記録する。
 タクシーで最初に向かったのは「あずま*」という店で、着いてみたら、銀座にでもありそうなステキな店だった。従業員の応対も丁寧ですばらしい。ここは、大学を出る前に教授がケータイで予約した(筈の)店だったのだが、従業員と話しているとどうも辻褄が合わない。2階の予約席に座って、おしぼりで手を拭いたところで、この店には予約の電話が入っていないことが判明した。教授がケータイに残っている記録の番号へ電話してみると、「あずま**」という店が出て、注文のコースを用意して待っているという。
 「必ずまた来ます」と謝りながら、そのステキな店を出て、一同タクシーに乗り、「あずま**」へ向かった。
 今夜のメインコースは、和食からフランス料理へ変更になってしまった。
 しかし、このハプニングで、会社の同僚は思いがけない経験をすることになった。フランス料理の「あずま**」は、彼が学生時代に彼女と入った思い出の店だったのだ。店に入って、食事をしながら、十数年ぶりの記憶がよみがえったのだ。その後、就職した彼は、彼女と距離が離れてしまったことで縁が切れ、結局、今の奥さんとゴールインすることになった。その話は、とんだ酒の肴にもなった。
 2軒目に寄ったのは「VAT」という店で、店内はロンドンにあるパブといった風情(ふぜい)。昨年も来たところだ。その折、私が小説家であることが話題になったのだが、驚くべきことに、そこのママさんがその後『和算忠臣蔵』を購入して読んでくれたという。ホステスの女性も、それを借りて読んだという。たまたまママさんは手を痛めていてお休みしていたのだが、私が来たことを知ったら、わざわざ本を持って店にやって来た。サインしてほしいと言う。光栄だし、うれしかった。純情な鳴海風である。
 3軒目に行ったバーは教授の紹介で、演歌が流れ、ローカルな話題で盛り上がる店だった。ここのママさんもなかなかの勉強家で人格者のようだった。話していると見識の高さ知識の豊富さ人間の幅を感じる。一般の主婦層に比べ、こういったママさんのレベルは人間的にきわめて高い。色々な人間を見ていることと、客の話題についていくためによく勉強しているからだろう。ママさん恐るべし。なお、ここでも鳴海風を宣伝しておいたが、さて、反応があるだろうか。
 接客中に居眠りしてばかりだったホステス(ちょっと私と同郷と言ってもよい)に見送られて、外へ出た。さすがに夜は寒い。薬が切れたので、花粉症がつらい。
 ホテルに戻って、パソコンを立ち上げ、メールチェックしてから寝た。午前2時である。

4月4日(金)「風さん。死なないでの巻」
 9時半起床。まだ少し眠い。シャワーを浴びて、昨夜(午前1時頃)コンビニで買ったパンとコーヒーで朝食にし、パソコンを立ち上げてメールチェックし、今朝は返信をいくつかした。仙台から送るメールも面白い。
 ホテルをチェックアウトし、駅ビルでお土産を買い、やまびこに乗った。再びゲラ直しを始めた。隣の席は空いていたので存分にできた。
 東京駅で弁当を購入し、ひかりが発車する前に食べた。遅い昼食だが、まともな昼食だった。再び、ゲラを広げて直しを続ける。昨日からこんなことをして、よく電車に酔わないものだと思う。
 修正が多くて、かなり手間取る。名古屋駅で名鉄特急に乗り換えたが、とうとうそこでもゲラの直しを続けた。
 名鉄特急を降りる時間が迫ったが、第2章の手直しは終わらなかった。
 ふと窓外を眺めると空はたそがれ色に染まり、そこから雨が落ちてくる。
 高密度な出張だった。仕事の目的は達したし、その合間に親しい教授との交流もできた。往復の電車ではゲラの直しに集中もできた。年齢と共に集中力は衰えるものだが、自分の集中力に自分で驚いている。しかし、こうしてトップギヤで走り続け、あるとき、突然エンジンがストップしてしまうような予感がする。
 「風さん。死なないで」女性ファンの声が耳の奥で響く。それが幻聴だと気付くまで、鳴海風は夢中で走り続けるのだ。

4月6日(日)「体調は変だがゲラの修正に専念・・・の風さん」
 昨日は起きたのが11時半だった。やはり死にかけていたようだ。睡眠は十分のはずなのに、疲労がとれていない。持病の首が痛くて、花粉症もすっきりしなかった。
 午後、サンルームの改造打合せで業者が来たので、その対応で精力を使った。私の想定する予算を80万円以上もオーバーしていたので、設計案を元にコストダウン検討をしたのだ。次々に私がアイデアを出して、3人の業者が検討するというパターン。会社でもアイデアには自信がある。ほとんど会社での仕事のようになってしまった。最後は、営業マンに「あとは、あなたの努力だけ!」と絵に描いたような締めくくり方で解散した。恐らく指値通りの見積もりを次回持って来るであろう。(世の中不景気だし、アジアでは妙な肺炎が流行っているし、地球の反対側では戦争しているのだ。こういう時に、不要不急のサンルーム改造工事など、贅沢であり地獄に落ちかねない)
 夕方から、ちょっと買い物と地元の図書館へCDを借りに行った。気に入ったCDが借りられた。ミッシェルの中で聴くと素晴らしいサウンドである。帰宅して書斎で聴いたら、迫力がない。ミッシェルの新たな魅力を発見した。
 以上が昨日のことで、ゲラの修正はほとんどできなかった。
 それで、今日は、起きてからずーっと書斎でゲラの修正作業に専念している。家族の送り迎えなどで、数回外出したが、まあ、専念している方だ。
 ようやく上巻の分が終了した。火曜日の朝に受け取って、実質、修正に着手したのは木曜日からだから、まずまずかもしれない。14日(月)の朝、出版社へ届ける予定なので、どうやら作業はギリギリになりそうだ。
 それにしても、修正がべらぼうに多い。頭から読んでいるのは今回が初めてなので、辻褄が合わない部分がたくさんあるのだ。今回のは初校ゲラだが、再校ゲラも絶対にチェックする必要がある。勝負は月末までもつれこむであろう。
 
4月7日(月)「PTA引継ぎが終了・・・の風さん」
 春らしい陽気になってきた。
 ミッシェルで走っていて、風が吹くと、桜吹雪が車台の下を通りぬけて行ったりする。
 PTAの引継ぎのために早目に帰宅し、小学校へ向かった。1年間の活動記録は几帳面にファイルしてあったので、後任の部長へ安心して引き継げるだろうと思っていたら、あにはからんや、当てが外れた。ノウハウがそのまま生きないのである。「うちにファックスありませんから、そういうやり方はできません」しょっぱなからずっこけた。「自宅でプリントアウトしてコピーして配布したのですか? うちにはコピー機もありません」せっかくのファイルにもあまり関心を示さなかった。それでも、精一杯、自分がやってきたことを説明した。結局、一緒に1年間仕事した副部長が、「陰でそんなに仕事していたんですね。知りませんでした」と感動しながら感謝してくれた。そもそもボランティアだと認識していたのだから、当然だと思っていた。新部長が新しいやり方で、新年度を開拓していくことになるだろう。頑張って欲しい。
 引継ぎ会が予想外に長引いて、帰宅したら、もう9時を回っていた。
 入浴し、寝る前にゲラの修正を、と始めたら、猛烈に眠くなってきて、12時頃にベッドにもぐりこむと、あっけなく眠りに落ちた。

4月8日(火)「父親失格の風さんの巻」
 住居地域の小中学校は、今日が入学式である。うちでは、次女が中学に入る。
 朝からどんよりした空で、天気予報は「雨」。子供にとっては重要な行事だが、父親不在というのはよくないだろうなあ・・・と思いつつ、どうにもスケジュール調整ができない。結局、何かを犠牲にしながら生きているわけで、家族にしわ寄せをしている私は地獄へ落ちるだろう。
 今週は会社の仕事がピンチで、朝から昼休みもなく悪戦苦闘していた。8時まで頑張ったのだが、エネルギーが切れて帰った。昨夜より少し早く帰宅したようなものだった。それから食事して、先に入浴しておいて、寝るまでゲラの修正をと目論んだのだが、だめ。疲れている。老いたスーパーマンは、家族を犠牲にしつつ、自らも踏ん張りがきかずにベッドへ直行する。同じ会社の仕事でも、仙台へ出張する方が楽なのかなあ。
 実は、来週も出張の予定が入った。それにより、新鷹会の旅行とつながったため、東京で泊まって時間がとれることに……。何とか今週を乗り切れば(会社の仕事とゲラの修正の両方)、ひと息入れることができる。寝る前に、いちおう東京の知人・友人へ「会えそうだよ」メールを送っておいた。都合のつく人と会うことになる(実は、このメールを送りながら、宿の手配をしていたのだが、定宿が満室で、初めてのホテルをインターネットで予約した。これがまた時間がかかったのだ)。
 日中はひどい雨で、夜には上がっていた。次女の入学式は雨が降り出す前に終わったらしい。ほっとした。

4月9日(水)「会社の仕事で頑張る風さんの巻」
 今週は会社の仕事がちょっと忙しい。実は、私は会社では室長をしている。牢屋の牢名主(ろうなぬし)ほど偉くはないが、いちおう最小単位の組織の「長」である。その組織の運営方針や重点計画などを整理して発表する必要があるから、今、忙しいのである。小説家でなくても、こういうことは、「長」と名のつく人が、自分で自分の考えをきちんとまとめ、説明のシナリオも考えなければならない。私は年初から自分の考え通りにやってきたので、全く迷うことはない。方針もシナリオも昨日1日かけて再整理し、部下に資料作りを依頼したところだ。本番は明日である。
 毎日帰宅が遅いので、会社の昼休みに、アシュレイとケータイを使ってメールチェックしている。
 先週、仙台へ行ったときにバーで会った女性(居眠りしていたホステスの子)から、メールが来た。彼女はパソコンを持っていないので、ケータイからである。居眠りしていたのは、花粉症の薬を服用したからだ、と言っていた。なんだ、そうだったのか。私はてっきり寝不足で居眠りしていたのだと思っていた。さて、再会することはあるだろうか。
 次に、昨年12月に発足した日本数学協会の知人から、入会の誘いと原稿執筆依頼があった。数学を文化としてとらえている協会だし、信頼できる先生が会長をしておられるので、快諾した。機関紙の創刊号のエッセイを書かせてもらえるというのも光栄である。
 それから、来週、上京したら、大好きなジャズシンガーの天宅しのぶさんと会えそうなことも分かった。元気で知的なお嬢さんなので、話していて楽しいし、こちらも大いに得るものがある。
 とにかく仕事を無事終えなければならない。・・・と、帰宅が10時を過ぎたため、ゲラの修正はほんの少し。

4月10日(木)「会社の仕事は一段落・・・の風さん」
 昨日の続き。
 今日が室方針の発表の日なので、夕べは寝不足にならないように早く寝て、今朝はしっかり30分寝坊した(なんのこっちゃ)。午前も午後も会議があったが、すべてパスして、準備に専念した。そして、夕方、重役の前で、言いたい放題の発表をした。みっちり1時間である。無事に終わってホッとした(と言うより、やったあ〜、という達成感)。年初から自分の思い通りに室を運営してきたので、それが間違いなかったと実感できたからだ。
 今日も、昼休みにしっかりメールチェックした。
 来週上京したときに、歴史文学賞受賞作家の会(私が勝手に命名)ができることが分かった(と言っても、単なる飲み会)。数多くの文学賞があるが、受賞して生き残っている確率はきわめて低い。基本的に作家同士はライバルでもあるが、仲間でもある。手の内をいくら明かしても平気だ。盗めないやつは盗めない。真似できないことは、やはり真似できないのである。あ、もちろん盗作のことを言っているのではない。テクニックや手法、姿勢のことである。それより、相手から多くのことを学ぶことができるので、私はいくらでも話す。小説の話は好きである。
 仕事がうまくいったので、ミッシェルで気持ちよく帰ってきた。

4月14日(月)「滑り込みセーフ・・・の風さん」
 午前零時を回って、14日になってしまった。ゲラの修正は終わっていない。全6章のうち第4章までがようやく終わったところである。やはり徹夜になりそうな状況に追い込まれた。仙台往復で新幹線の中でやれる作業量はつかんでいる。明朝までに第5章は少なくとも終えておかなければならない。
 しかし、5時になって、体力的に黄信号が点灯した。修正は終わっていないし、このままでは新幹線の中でダウンする。旅行の用意はだいたい終わっているので、居間へ降りて、ぶっ倒れた。5時半である。
 6時半に目覚めると、ワイフが子供の朝食や弁当の用意をしていた。いつもの日常がそこにあった。
 早朝の駅のホームからは静かな伊勢湾が遠望できる。仕事は終わっていないが、清清しさを感じる。7時24分発の名鉄特急に乗った。幸い、臨席の客が寝ていたので、ゲラを取り出して、修正作業を開始した。
 名古屋駅に着き、新幹線の待合室に入り、わずかな時間もゲラを取り出して読み進む。
 8時29分発の「ひかり」に乗る。3人掛けの窓際の席で、真ん中が空席だった。どこまでも運の強い風さんである。ひたすらゲラの修正を続けた。どうしても全体を通してチェックしないとできない作業と、難しい漢字の変換ミスの訂正が残った。とうとうアシュレイを取り出して、立ち上げた。
 全作業が終了したのは、東京着7分前だった。「やった〜!」という気分だった。
 銀の鈴で編集長と落ち合って、打ち合わせが始まった。編集長は、渡したゲラを1枚1枚めくりながら赤字の部分に目を走らせる。そうしながら、編集長自身が気になっている部分について、どうすべきか相談もするのである。次に乗る東北新幹線の発車時刻まで45分程度しかないので、私はてきぱきと訂正案を提示し、合意すると、すぐその場で書き込んでいった。
 結局、上巻の分しか終わらず、明日、午後2時に、この続きをすることになった。それにより、明日の午後、人と会う約束が流れた(ごめんなさい〜)。
 弁当を買って、11時44分発の「なすの」に乗車する。明日の打ち合わせはあるものの、とにかく最後までゲラの修正をして渡すことができた喜びが、ようやく体に満ちてきた。あの原稿を書き始めてから既に2年4ヶ月以上が経過している。なかなか最後まで到達しなかったし、最初から最後まで通しで読んだのは、実は、今回が初めてだった。全体を通してやっと発見できる間違いも多く発見されたし、一貫した思想の弱さ・甘さも再確認できて反省点が多い。それでも、ここまでたどり着けたのは、運が良かったのひと言だろう。
 寝不足で死にそうな筈なのに、弁当を食べても興奮していて眠れない。持ってきた本を少し読み、車内誌にも目を通し(色々と発見があった)、あとは眠らなくても目をつぶっていた。
 10年以上実施されなかった新鷹会の旅行は、新鷹会と縁の深い和泉屋旅館で「塩原温泉勉強会」と銘打って挙行された。
 午後1時過ぎ、那須塩原駅で降りると、宿からのマイクロバスが迎えに来ていて、それぞれ手配して乗ってきた会員全員がようやく顔をそろえた。全部で11人である。平均年齢が高く、老人会の旅行という印象は否めない。旅館のご主人は市会議員もされている立派な方で、我々を精一杯歓迎してくれた。そのご主人の案内で、日本一の長さを誇りながら橋をかける意味のない吊り橋だとか、樹齢千五百年を越える古杉のある神社とか、昔から文豪が足跡を残した地域を紹介する「もの語り館」(まだオープン前)などを見て回った。
 私にとっては、この和泉屋旅館は3度目で、新鷹会に入会したばかりの当時の気持ちがよみがえってきて、とても懐かしい。あの頃は、憧れの小説家や作家は雲の上の人だった。今は?雲の上の人ではないが、すぐ近くに見える。
 3時から真剣に勉強会がおこなわれ、いつものように、自分の作品の反省点を見せつけられる思いで、とても他人に対して厳しい批評ができなくなる。
 入浴後、宴会となり、司会のお手伝いもしながら、カラオケなども歌って、1次会が終了した。続いて、場所を変えて2次会となったが、寝不足の私は、早々に寝ることにした。もう一度入浴し、アシュレイとケータイを使ってメールチェックした後、10時半に就寝した。

4月15日(火)「また傘を買ってしまったの巻」
 7時に起床したので、8時間半も寝たことになる。途中、全く目が覚めなかった。
 同室の二人の先生は、箒川(ほうきがわ)を望む窓際でお茶を飲んでいた。
 8時から朝食となった。意外と空腹でしっかり食べた。その後、場所を変えて、コーヒーを飲みながら、会員らと雑談した。この雑談は、実はとても重要な内容で、伊東先生から「大衆文芸」の編集を手伝ってほしいと言われたため、会員らにパソコンやインターネットを利用することを強く勧めたのである。遠隔地の私が編集を手伝うためには、このデジタル技術は必須となる。会社と同じで言いたいことを言えるキャラの私は、年上の会員に対して、執拗に「大衆文芸」運営の危機と、その回避のためにはIT(情報技術)が重要なことを説いたが、なかなか響かなかった。さらに根気と努力が必要だと思った。
 今日は、朝食後は、自由に解散となったので、10時48分発のバスで那須塩原駅へ行き、11時44分発の新刊線で東京へ戻った。朝から泣き出しそうな空だったが、東京に着くと、傘の花が開いている。
 御茶ノ水駅を出てところで、また傘を買ってしまった。500円のジャンプ傘である。色は青緑。
 編集長との打ち合わせは、予定より早く、1時半から開始することができ、3時過ぎに終了した。ここでもアシュレイを駆使して(検索機能を最も利用して)、効率よく修正作業を続けることができた。
 編集長と別れて御茶ノ水駅へ向かう途中、「警視庁」と書かれた制服を着た婦警さんが違法駐車の取締りをしていた。思わず目が釘付けになるような可愛い女性で、ニコニコしながら車に近寄って、注意していた。こういう婦警さんが長く仕事してくれることを願ってやまないが、どこかのむくつけき男がさらっていくんだろうなあ。
 4時にホテルにチェックインし、またまたアシュレイとケータイでメールチェックすると、わんさとメールが来ていた。当然、こちらからも返信する。その後、ベッドに横たわり、本を読みながら、体を休めた。初校ゲラが確かに一段落したことを実感する。再校ゲラは週末から週明けにかけて順次到着し、1週間程度で返却することになる。校了は5月1日ごろだろうか。
 7時にホテルのロビーで、市原麻里子さん、渡辺房男さん、ととり礼治さんと落ち合う。歴史文学賞受賞作家の会(私が勝手に命名)である。同じ時間帯に今年の受賞者(植松さん)と新鷹会員が某所で飲んでいる筈だ。風野真知雄さんや沼口勝之さんとも若干の交流があるので、この会は大きくできるかもしれない。少なくともネットの中には作れそうだ。
 外は相変わらず雨だった。500円の傘の話をしたら、市原さんは300円の傘で、な、なんと、渡辺さんの折りたたみ傘は100円だと言う。恐れ入りました。
 香港料理の店で3時間くらい飲んで食べて喋った。店員が中国人で、確かに料理はうまかった。渡辺さんの紹介で、とても安かった。
 約束だったので、そこから市原さんを連れて貴族へ行った。久しぶりである。前もって連絡してあったので、店では私がやってくることを先週から噂していたそうだ。ママさんのお嬢さんがカウンターの中で働いていて、初めて会ったが、なんとうちの次女と同じ名前(漢字は少し違う)だった。天宅しのぶさんと抱き合わんばかりの懐かしさを覚えたが、指1本触れさせてくれなかった。同じくシンガー・ソング・ライターのいずみさんとも久しぶりに会えてうれしかった。アメリカの映画だと、こういう懐かしい場面では男女が公然と抱き合い、キスまでするのだが、日本にはまだその習慣がない(のが残念だ)。いつも通りに高校の同級生が合流する。彼は平然と女性の住所や電話番号、年齢などを質問する。「おい。そんなこと聞くなよ」と私が注意するヒマも与えず、女性らはあっさりと公開する。ど、どうなってんの?とうろたえる私の方が、この店では珍しい人種なのだそうだ。ちぇ。僕も後で教えてもらおうっと(いじいじ)。
 12時に店を出て、友人と二人、珈琲屋に入った。クラシックが流れ、とても雰囲気の良い店だった。ここで、コーヒーとケーキで1時半まで雑談し、寝たのは午前2時である。

4月18日(金)「1年間のPTA委員が終了の巻」
 天気は変わりやすく、雨の日も多いが、明らかに季節は動いている。桜が散って、早、初夏のような今日の陽気だった。ひたすら長編の完成へ向けて突っ走っているうちに、気がつけば今年も三分の一が終わろうとしているのだ。
 今日はPTA最後の行事「歓送迎会」のために早々と帰宅した。思えば、一年前の「歓送迎会」から地元の人との付き合いが始まったのだ。本来、地域に根が張っているのは女房である。会社員の亭主なんて根無し草みたいなものだ。ひたすら会社と自宅の往復をしているだけで、地域の動きにうとく、文化的なことからも縁が薄い。そして、女房よりもかなり早く逝ってしまう。悲しい種族である。それが、幸か不幸かPTAの委員に選ばれたことで、多少なりとも地域と密着した行事に関わることができた。かなり時間をとられたが、それなりに意義は大きかった。普通ならこれを機会に、ますます地域と密着したり、さらに深く関わっていくのだろうが、多忙な私は無理である。この程度で我慢しておこう。
 家に着くと、予定より1日早く上巻の再校ゲラが届いていた。返却指定日も当然早まっていて、24日(木)である。23日(水)には発送しなければならない。校正は22日(火)の夜までだ。
 再校ゲラの到着により、今夜の「歓送迎会」には出席するものの、二次会までは行けなくなった。こうなる運命だったのだろう。それでも、短い歓送迎会の間に多くの人と語り合うことができ、1年の良い締めくくりができた。
 私としてはかなり飲んだ方で、帰宅したら、少々頭痛がする。入浴し、メールチェック後、ほんの少しだけ読書してさっさと寝た。

4月19日(土)「うっとうしい雨の日も・・・の風さん」
 また雨になった。もうしばらくは冷たい雨の日の方が体にとっては違和感がないのに、蒸し暑さを感じるほどで、うっとうしい。
 我が家では(この建物もミッシェルとかアシュレイみたいに命名しておくといいかな?)、サンルームの改築を計画している。ワイフのトールペインティングのためである。彼女は深夜まるで悪魔にとりつかれたように作業に熱中する。それを庭にある小屋でひとり行っているため危険この上ない。それで、母屋につながるサンルームで作業できるように、そこを快適な生活空間に改築するのである。現在のサンルームは、冬寒く、当然夏暑い。
 先日、見積もりがあまりにも高額だったため、こちらからアイデアをたくさん出して、希望予算になるように再見積もりをお願いしてあった。その結果を、今日持ってきたので、(若干まだオーバーはしていたが)いちおう了解し、さらに細かな打合せもした。5月末には完成しそうである。そうなれば、私も安心して先に就寝できる。
 庭の小屋はカナダ製だったが、今度のサンルームは英国製である。
 再校ゲラは、また最初からすべてを通してチェックしている余裕はない。それで、今日は、先週打合せたときに持ち越した部分と、編集長からの新たな指摘部分について、修正作業をした。部屋の中の整理とかやることは死ぬほどあるが、先ず、この校正をしなければならない。結局、それだけを完了したのが、午前1時前だった。元の出来が悪いと、どうしても後作業がたくさん残る(パソコンを駆使していても、だ)。
 雨は降ったりやんだりの1日だった。湿度だけでなく気温も高いせいだろう。なんとなく体調はよろしくない。頭もスッキリしない。ぼんやりと部屋の隅や壁、天井を眺めていると、不吉な予感がしてくる。黒くて平べったい物体がそこに貼り付いている情景だ。効果はない、と断定された超音波、電磁波発生装置は、スイッチを入れたまま冬を越した。その答えはやがて出る。明日はトレーニングに行こう。

4月20日(日)「体を絞る小説家の巻」
 今日も雨が降ったり止んだりの1日だった。
 気まぐれ日記に書けないことはたくさんある。そういう中で、ちょっと上向きになってくると、つい洩らしてしまう。
 先週の木曜日から実は体調はあまりよくなかった。運動不足が原因だと思う。夕方になると足がむくんできわめて不快な気分になるのだ。それで、ばらしてしまうと、金曜日は、朝から両方のふくらぎをすっぽりと包むサポーターをはめていた。昔のゲートルと同じで、こうするとふくらぎがうっ血しないので、むくまないし、疲労も予防できる。こういった効果のあるパンストもあるらしい(関係ないか)。金曜日の夜の歓送迎会もそのままで出席していた。
 そして、土曜日。やはり忙しさに負けて、トレーニングへ行く勇気がなかった。いちおうサポーターはしていなかったが、潤滑油が切れた機械みたいな状態だった。
 多忙さに変わりはなかったが、我慢できずに、夕方行ってきた。また、1ヶ月ぶりである。
 町立体育館のトレーニングルームには、マシンを多く置いている関係上、プロのトレーナーがいる。今日、久しぶりのトレーナーと会った。もちろん女性。何年ぶりかである。聞いたら、彼女もごくたまにしか来ていなかったそうだ。ここに来ている女子トレーナーは、やはりスポーツウーマンらしく、健康美にあふれている。筋肉番付に出演している女子選手のように引き締まった体型で美しい(トレーニングしながら何を見ているのかって? 余計なお世話です)。
 ちなみに、今まで、ここに来ていた女子トレーナーで、私が最も憧れていた女性は、1年もたたないうちに九州へ帰ってしまった。ハスキーボイス(セクシーボイス)で、バドミントンの町内大会で優勝していた。おっと、脱線が過ぎたか。
 えーと、今日の、トレーニングは、入念なストレッチから入って、ラボードを10分、腹筋40回、背筋30回、ラットプルダウン、レッグプレス、バタフライ、カーフレイズとこなし、電動マッサージ椅子10分で仕上げた。体重がオーバー気味だったが、たっぷり汗を流したので(途中でシャツを着替えた)、運動後は肥満度−0.4%となった。不思議と脂肪量も減っていて、体脂肪率18.3%とベストのころに戻った。
 天気はすっきりしない1日だったが、また、体が軽くなった。これで、また頑張れる。

4月21日(月)「筋肉痛に快感を覚えたものの・・・の風さん」
 朝から両腿が筋肉痛である。この久しぶりの痛みは快感だ。やはりトレーニングしなくちゃ・・・。
 鈴木輝一郎さんから新刊が届いた。『罪と罠へのアドレス』(実業之日本社刊 1700円税別)である。インターネットの関係から題材をとったミステリ短編集で、発表年(98年から最近まで)の順に並んでいる。したがって、技術の進歩の様子も合わせて楽しめるらしい。
 冒頭の作品を読んでみた。パソコン通信の面影が残しながらも、やや先を読んだ内容だが、今では特に驚く設定ではなくなっている(つまり、見事に近未来小説になっていたというべきか)。最近は、ネットを通じて知り合った人たちが数人で自殺するケースが散見する。とんだオフ会である。探せば、こういったことは、もう誰かが小説に書いているに違いない。残りの作品も読んでみたい。
 コンスタントに作品が出てくる輝一郎さんの執筆姿勢はぜひとも学ばねばならない。
 ミッシェルで製作所へ出張してから帰宅したので、執筆開始が遅くなった。今夜で上巻分のノルマを終了する予定だったが、かなりの量を明日に持ち越した。就寝は午前2時。眠い。

4月22日(火)「8メートルのファックスの巻」
 昼休みに出版社からケータイに電話が入った。上巻ゲラについて、「要検討項目を記入してファックスした」というのである。上巻ゲラは明後日着で返却しなければならないから、送付は明日、つまり、今夜中に修正を完了し荷造りすることになる。
 急いで帰宅したら、郵送下巻ゲラと一緒に、電話で予告されたファックスが届いていた。
 うちのファックスはロール感熱紙を使用している。
 編集長が送ってきたファックスは、ロール状態になっていた。
 くるくると巻き戻して開いていくと、長い長い、実に8メートル!もあった。
 目の前が暗くなり、夕食後、1時間仮眠してから(夕べも寝不足なのだ)修正作業に入った。
 ファックスの指摘に従って見直しをかけ、最後に、昨夜持ち越した分の修正作業を終えたのが今朝の5時である。外が既に明るくなっていて、だいぶ夜明けが早くなってきたな、と感心している場合ではないが、それから荷造りをして、5時半に就寝(とは言えないだろうが)した。
 ところが、体が冷えていてなかなか眠れなかった。
 目覚めたら時計が止まっていた。従って、目覚まし時計は鳴らず。お陰で、2時間の睡眠時間がとれた。

4月23日(水)「『円周率を計算した男』大型活字本になるの巻」
 この間、『円周率を計算した男』が高校の入試問題に使用されたことを書いた。
 今度は、某福祉協会から、視覚障害者のために「大型活字本」を出版したいとの申し入れがあった。
 『円周率を計算した男』は点字図書館にも収蔵されていることが判明している。『算聖伝』はずいぶん録音テープが起こされた。社会事業に役立っていることは大変うれしい。達成感を感じる。そこへ、今回の申し入れである。「大型活字本」は全国の図書館向けに出版される。過去の作品集を見てみると、錚々たる作家が名を列ねているので、光栄である。
 出版社とも相談し、受け入れることにした。
 正式に決まったら、またここで紹介したい。
 昨日の無理がたたって、今夜はゲラの修正に手がつけられなかった。とにかく眠かった。

4月24日(木)「また上巻ゲラの追加修正・・・の風さん」
 上巻ゲラの宅急便が届いたかどうか、編集長に確認の電話をした。
 届いていたので、ひとまず安心した後、まだ心にひっかかっている部分について打ち明けた。何しろほとんど徹夜で作業したのである。徹底できなかった部分がある。それは、たとえ朦朧とした意識の中でも、頭の片隅にしっかり残っている。後悔の芽は摘んでおかなければならない。
 はたして、「おっしゃる通りですね。ぜひ修正してファックスしてください」ということになった。
 それで、帰宅後、その部分の修正となった。
 字句を直す作業ではない。流れの中で主人公の心情がどう動いていくか微妙に表現するのである。ほぼ1年の間隔を置いて、同じような場面に主人公が直面する。1年前と今とで、対処する主人公の心の動きは違うのである。それをどう表現するか。小説は人生を考えることである。最もやりがいのある作業である。しかし、難しい。
 その作業をしていて、また就寝が遅くなってしまった。ファックスを流したのは、午前2時ころである。

4月25日(金)「偏頭痛の巻(14メートルのファックスのせいじゃない)」
 早朝から会議があるので、今朝は遅刻するわけにはいかなかった。
 慌しい午前を過ごし、午後からN製作所へ出張し、その後A製作所へ回った。ゴールデンウィーク前の仕事が終わったのは、午後7時だった。
 会社の仕事はまだたくさん残っており、「終わったあ〜」という感覚がない。達成感がないのである。
 それでも、私は、執筆に戻らねばならない。
 ところが、帰宅したら、偏頭痛がする。
 編集長から、下巻再校ゲラに対する要検討項目がファックスされていて、実に14メートルを超えていた。昨夜、新しいロールと交換しておいてよかった。
 夕食後、頭痛薬を飲んで仮眠してみたが、ひどく痛い。頭頂部付近のある箇所がひどく痛む。不快感で、そのまま寝ることにした。休養さえとれば、明日は休みなのだから、なんとかなるだろう。

4月26日(土)「ゴール目前。生きてテープカットできるか・・・の風さん」
 結局、通算で12時間も寝た。それでも偏頭痛がおさまらない。これは脳ミソの奥の方が痛いのではなく、頭皮の直下で何かが神経を圧迫しているような気がする。気にしていたら仕事にならないので、ベッドから飛び起き、とりあえずシャワーを浴びて、朝食後、ゲラの修正を開始した。上巻から引きずっている懸案事項から着手し、次に編集長と電話で話した全体に関わる語句の統一に移り、最後に14メートルのファックス対応となった。
 先週のトレーニングから1週間が経過しているので、全身がコチコチになっていて、ひどく不快である。書斎がある二階と一階の往復が難儀である。
 月曜日に上京するための切符を、ワイフに買いに行ってもらったが、目的を果たせなかった。新幹線の切符は、結局エクスプレスカードを使って、インターネットで購入した。最近、色々な物をインターネットで購入している。そういう時代なんだなあ。(母の日プレゼントは、今年もインターネットで、今日、花を手配した)
 夕方、疲れて、また1時間昼寝した。ゴールデンウィークに突入したというのに、疲れたサラリーマンみたいだな。あ、そうか。おいらはサラリーマンだった。
 14メートルのファックスを最後の50センチ残して終了したのが、午前零時である。
 いよいよゴールが目前になってきた。

4月27日(日)「ラス前の風さんの巻」
 住んでいる町の町長と町議会議員選挙の日である。朝から、空は雲ひとつない。爽やかな1日だ。
 下巻最後の懸案事項に取り組んだ。最終章の締めくくりの部分で、悩んでしまった。書けば書くほど味気ない気がして、かと言って、あまり省略し過ぎると、読者は欲求不満のまま読み終わることになる。難しい。
 今朝の新聞を読んでいたら、渡辺房男さんの『われ沽券にかかわらず』の紹介記事が出ていた。地味ながら、存在価値のある作品なので取り上げてもらえるのだ。先ずは、めでたい。はたして、私の作品はどうなるだろう。今は不安が先行している。評価を待つより、次の作品にたまった思いをぶつけよう。
 昼食後、選挙に行き、夕方、トレーニングに行ってきた。血圧は異常なし。体重は肥満度−0.4%で、先週と同じ。体脂肪率は19.5%で、体脂肪量が増えていたが、計測ばらつきの範囲内だと思う。帰宅してシャワーを浴びた。少々疲れたが、例によって、体の中を風が吹き抜けていくような爽快感がある。ゴールデンウィーク中は、もう1回は行きたい。
 夕食後、下巻再校ゲラの修正を終了。
 明日、このゲラを持って上京し、編集長と細部にわたり最終打合せをする。それで、明日中に校了となる。
 編集長と今回の作品を決めてから、実に2年半である。そのほとんどの時間が時代背景の勉強と資料調査に費やされた。無駄にしないためにも、しばらく幕末を舞台にした作品を書いておきたい。

4月28日(月)「2年半の執筆が一段落の巻」
 2週間前と同じ電車で出発した。名鉄電車の中では、先回はゲラのチェックをしたが、今回は、予約した帰りの新幹線の時間変更をケータイで処理し、あとは静かに休んでいた。
 名古屋駅に着くと、ゴールデンウィークにもかかわらず、普段と同じビジネスマン、ビジネスウーマンでごった返していた。カレンダー通りに勤めている人たちもたくさんいることが分かった。
 しかし、新幹線はやや空いていた。2週間前と同様に3人掛けの窓際で、隣の席が二つとも空いていたので、思いっきりゲラを広げて、修正作業を続けた。最後まではたどり着けなかったけれど、多少、見直しができた。
 打合せは11時から開始され、2時半までかかった。下巻の再校ゲラを1枚1枚めくりながら、編集長と私自身が気付いた部分について意見を交換しながら進めて行くのである。当然、時間がかかる。持参した電子辞書の広辞苑で確認するのは簡単だが、アシュレイを立ち上げて電子ファイルの中を検索したり、インターネット接続して検索するのはちょっと時間がかかった。
 それにしても喫茶店でとんでもない作業をやっているものだ。隣席の客はさぞかし驚き呆れていたことだろう。
 最後に、昨日悩んでいた、作品の終わり方とあとがきの部分では、本当に検討に時間がかかった。いちおうフルオプションで原稿を用意しておいたので、並べ直しと部分削除で、再構成できたのだが、随分と変わった。
 本の帯に書くキャッチコピーも二人で検討した。
 西のぼるさんが描いてくれた表紙絵は、上下巻それぞれ異なっており、予想した船の絵ではなく、写真を元にした人物画とのことである。この手の作品がほとんど船の絵になっていたので、それと違って、私としてはうれしい。
 編集長に今回の作品の構想を話して合意したのは、2年半前である。その時点で、私は、主人公についてJALの機内誌と勤務先の技術会誌、また最も重要な副主人公について、勤務先の社内経営研究会誌に歴史読み物を発表していたので、基礎準備はできていたと判断していた。が、それは実際は甘かった。時代背景を理解するのは容易なことではなかったのである。
 しかし、とにかく終わったのである。本日をもって「校了」である。
 2年半の作業をお互いにねぎらって、編集長と別れた私は、三省堂や古本屋をしばらく覗いて歩いてから、帰途についた。そうしながらも、私の頭はいつもと変わりなかった。あまりに密度の濃い2年半だったので、これで執筆としては一段落なのだが、イマイチ実感がない。充実感も脱力感もないのである。
 取材にも随分出かけた。夜行バスと飛行機を利用して長崎。夜行バスと新幹線とレンタカーを利用して群馬県倉渕村。東京駅からレンタカーで茨城県へ出かけたのは計3回。復元した帆船を見るために、宮城県石巻市まで行った。船の科学館へも行った。ペリーが上陸した久里浜から、横須賀へも回った。行きたくて行けなかったのは、小笠原への船旅とアメリカ取材旅行である。取材には行けなくても小説にはしっかり書いた。国会図書館、東大史料編纂所、国立公文書館、愛知県図書館へはパソコン持参で何度通ったことだろう。購入した書籍や資料類は書斎の机の上からあふれている。
 とにかく、すべてに優先して続けてきた執筆が、一段落したのだ。
 そして、明日からまた次の出版を目指して走り続けることになるのは間違いない。

4月29日(火)「風さんの2年半ぶりの元旦の巻」
 昔、受験生の正月は、年始ではなく合格発表後つまり3月と相場が決まっていたものだ。2年半の執筆を終えた私の正月は、今日からで、恐らく4日の日曜日で終わってしまう。その間ものんびりできる筈はなく、たまった仕事を少しでもこなさなければならない。・・・そうは言っても、今日は、その2年半ぶりの正月、つまり元旦なのだから、少しぐらいのんびりしてもいいだろうってんで(急に江戸ことばが復活)、ワイフや次女を連れて外出した。ランチやちょっとした買い物である。
 3日、4日とワイフとUSJに行くので、観ていない映画のビデオを借りてきた。「スティング」「ウォーターワールド」である。出かける前に観なければならない。よく考えてみると、こうして私はいつも自分の生活を忙しくしてきたのだった。本当にのんびりする気なら、前もって準備などしないものである。
 居間に散らかしてある雑誌類をざっと眺めて、3分の1くらい捨てた。
 夕方からトレーニングに行ってきた。血圧は問題なし。肥満度−0.1%で、体脂肪率が19.5%だった。少し、数値が悪化しているが、エアロバイクによる心肺機能データは、ベストの74%で、前回の数値よりも約6%回復していたから、とりあえずOKとしておこう。連休中に、もう一回はトレーニングに行くつもりだ。(私の)執筆に体力は不可欠。
 夜、執筆マシンのソフトを修正しようと試みたが、やめた(これでいいのだろう)。その代わり、ワイフがサンルーム改造に伴うトール教室「お休み」通知の葉書印刷の手伝いをした。
 やはり、ビデオは観れなかった。
 それでも、早々と午前零時に就寝したのだから、十分のんびりした元旦だったのだろう。

4月30日(水)「CG作家と絵画展・・・の風さん」
 年々芸術関係の知人・友人が増えている関係で、出かける機会も増える。これまでの定番は、知人の陶芸展と某有名建築会社の作品展だったが、今日、3つ目が仲間入りした。絵画展である。
 午前中、年に1回の眼科検診のために名古屋へ行き、お昼に美味しい札幌ラーメンを食べた後、絵画展へ向かった。
 知人のCG作家の油絵が展示されているのである。それを観るだけなら、1時間程度で帰るところだが、受付役で来ているとのことだったので、案内役をお願いして待ち合わせた。
 絵画の展覧会を観るのは大好きである。今回の絵画展は、素人の方が通う絵画教室の生徒が中心なのだが、小学生や障害をもった人の作品も出ているとのことで、それらを見学するのも目的だった。セミプロの作品よりも、私は小学生の作品に感動する。テクニックをほとんど使わずに、観るに値する絵画を描き上げる感性には、芸術の根本的なものを感じずにはいられない。今回もそうだった。筆の運びや塗り、構図、配色、どれをとっても巧まぬ結果にもかかわらず、パッと見たとき「美しい」と感じられる作品が多いのである。そして、個人個人の目で見えているものは、対象が同じであっても、決して同じではなく、その表現方法も異なっていることに気付く。それが、芸術なんだなあ、と今さらながらに納得するのである。さらに今回は、障害者の作品もさりげなく混在されていた。「この子は、最初、色を塗ることができなかったのですよ」。案内してくれたCG作家の解説により、創作を通じて彼らの精神が成長していった経緯を知ることができ、とても有意義だった。
 気が付いたら、会場内を1時間半も歩いていた。その後、お礼の意味で喫茶店に誘い、なお1時間も歓談してしまった。違った芸術分野で活躍する人と語り合うのは、刺激を受けるし楽しい。

03年5月はここ


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